「……なるほど。その可能性は高いだろうな」 腕を組んだまま話を聞いていた紫苑が、ゆっくりと息を吐いた。 「この数日間ずっと奴に振り回されてばかりで、俺としても一発ぶん殴ってやらんと気がすまん。もし仮に近くにいるというのなら、今が首根っこを掴む好機だろうな。……白斗。やれ。1時間程度でいいだろう」 それが時間停止(クロッカー)を使えと言われているという事に気付いたのは、数秒後の事だった。 「さっき使ったばかりで、再使用まではあと少しかかる」 そう告げると、相手は顔をしかめつつも仕方ないとでも言うかのように手を振った。 「まあいい。……念のため手順を確認しておくぞ。今から手分けして、時間内で近場をしらみつぶしに捜索する」 どこか冷え込み始めた夜の繁華街の一角で、周囲の騒音に混じり紫苑の声が響く。 「奴が見つかろうが見つかるまいが、一回りしたらひとまず戻れ。それから改めてこちらの出方を考える」 「……でもさ、相手がどこにいるのかって具体的な当てはあるのかよ?」 ふと警戒気味に周囲を見渡しながら、光輝が言う。 「さぁな。だが、だからこその時を止めての捜索網だ。今まで一度も俺たちの前に姿すら現さなかった心底臆病な奴でも、今回ばかりはどうだろうな」 それから相手は近くの雑居ビルを見上げた。 「俺は高所から捜索する。お前たちはこの一帯を起点に、次第に捜索範囲を広げていけ」 その瞬間クオリアの使用制限が解除され、白斗は小さく息を吐いた。 時間停止(クロッカー)が再使用可能になるまでの累計時間、1時間と31分。 『いいのか? ここでその……一気に1時間分も使うだなんて』 捜索チームは誰が言い出すでもなく、白斗と葵そしてクレア、悠と光輝、紫苑の三組に分かれていた。 白斗と葵が駅から離れるようにして大通りを下りながら道行く人々の顔を確認し、クレアが近くの建物の壁をすり抜けて片っ端からチェックする。 そして一区画分を確認し終えたその時、クレアがそんな事を聞いてきた。 「別に構わないさ。どうせ、もうロクに使う事もないだろうし」 白斗としては、例え再使用までの時間が10時間になろうが1日になろうが、大して興味は無かった。 自分の日常はあくまでも草むしりであって、こんな面倒事でない限り時間停止能力なんてものはそうそう使う機会は無い。そう思っていた。 『……。お前が気にしないのなら、私としてはそれで構わないけどな。……って、おい』 「え、なになに? ……うわぁ」 ふと視線を前に向けたクレアが口元をひくつかせ、葵も同じ方向を向いて驚きの声をあげた。 先ほど葵が召喚したリバイアサンによって見事に破壊された、工事現場と大通りを仕切る壁。 そこの周囲に十数人ほどの人だかりが出来、壁の残骸を指さしては口々に何かを言い合っている姿のまま固まっていた。 どうやら最初の時間停止寸前にリバイアサンの姿を目撃してしまった通行人たちの間で、ちょっとした騒ぎになっているらしかった。 『……まあ、そこまで気にしなくても大丈夫だろうな』 白斗がどうすればいいのか迷っていると、隣でクレアがため息をついた。 『他人からすれば、一瞬で現れた謎の生物が壁を壊して一瞬で消えた。それだけの事だ。それに残った証拠はあの残骸だけ。おそらくは、集団ヒステリーとして処理されるだろうな』 「でしょ? 大丈夫大丈夫。気にしないでさっさと次行きましょ」 数メートル先の横断歩道手前で、葵が大きく手を振っていた。 「なぁ悠さ、」 駅方面へと歩きながら周囲の人々の顔と手元の写真を見比べていた悠は、背後から聞こえてきた相方の声で振り返った。 「何」 「今探してる相手、このまま本当に見つかるのかよって思ってさ」 車のかき鳴らす騒音も雑踏が吐き出すざわめきも消えた世界で、光輝の声だけがやけに響く。 「だってほら、例えば建物内にいたらどうしようもないだろ? それにいくら分担してるとはいえ、1時間じゃどうやっても回りきれるわけないよなぁ……」 「……」 「もしくは、どこかめっちゃ遠くから双眼鏡で俺たちの事を見てた可能性だってあるし、そうだったらいくら見回っても……」 「そんな事――」 私だって分かってる。でも、今はこうするしかない。 数日前から全く変わらないその結論を口にしようとして、数歩手前で立ち止まっていた相方の方を向く。 が、その相方は口をポカンと開けたまま、前方を指さしていた。 「なぁ……あれ、時雨じゃね?」 その視線の先には、ちょうど買い物帰りなのだろうか、百貨店の紙袋をを片手で肩の後ろに回すようにして担ぎ、もう片手で携帯電話をいじる、私服の時雨の姿が。 いつものように口元にシガレットチョコを咥えた彼女の隣に回り込んだ光輝が、操作中の携帯電話を覗き込む。 「ちょうどメール打ってたところっぽいな。宛先は……お前だわ」 「……私?」 ここ連日の出来事で時雨の事など完全に意識の外に追いやられていた悠は、どこか面食らったようにつぶやいた。 「とりあえず読んでみるぜ。ええと、なになに。『最近お前さん様子おかしくねーか? 何に悩んでるのかは知らねーけどよ、オレで良かったら相談乗るぜ?』」 しかめっ面で画面を見つめる時雨の顔と文面を見比べつつ、光輝が読み上げを続ける。 「『もしや悩みごとの原因は光輝か? あんのヤローが何かお前さんに嫌がらせでもしてやがんのか!? だったらいつでも言えよ。オレがシバいといてやるからさ』いやいやまさかぁ……」 「……」 「『追伸:ところで今日の体育の着換えの時思ったんだけどよ、あの下着はいくらなんでも色気がなくねーか?』」 「……」 ふとその時、悠の脳裏にとある確信がよぎった。 「『そんなわけで今度一緒にキワドイのを買いに行か』あー、悠さん、抑えて抑えて」 これ以上先は読みませんとばかりに苦笑いを浮かべながら手を振る光輝が、悠の沈黙の意味に気付いて表情を元に戻したのは少し経ってからの事だった。 「……光輝、この時雨は」 「ああ。……確実に本物、だな」 二人して、彫像のように固まった相手を見つめる。 「あなたは今まで、時雨の偽物を見た事はあった?」 「……んー、そう言えば無いなぁ……」 「……」 一瞬何かが頭の片隅に引っかかるような感覚を感じたが、それよりも早く相方が悠の手を引っ張った。 「ま、何にしろとっとと次行こうぜ。探してられる時間もあんまないしな」 「見つからないわねぇ……そいつ、本当に近くにいるの?」 一通り捜索を終えた白斗と葵は、紫苑より集合場所と指定されたいつもの協会の建物内へと戻ってきていた。 受付に視線を向けると、流石に今回ばかりは真面目に仕事をしていたのか、数枚の書類をめくりかけた体勢のまま固まっている秋津さんがいた。 便利屋業務の人員は彼女が既に帰したのか、閑散とした室内にて他のメンバーの帰還を待つ。 そしてそれからさほど時間も経たないうちに、背後の開け放たれた扉から悠と光輝が入室してくる。視線を送ると、悠が静かに首を振った。 最後に、苦虫を噛み潰したような顔の紫苑が現れた。 「何か手がかりでも掴んだ奴はいるか?」 その問いかけに、誰も声をあげない。 そして。 「……チッ、タイムアップだ」 時が再度動き出し、受付の秋津さんが椅子から転げ落ちそうになりながら手にした書類を取り落とした。 「うわ、あなた達いつの間に!?」 「……。後で説明してやる。それよりも問題は……また振り出しに戻ったという事だ」 「……」 ふと何の気無しに床を見下ろした白斗の視界内に、白いレジ袋が映った。 便利屋業務で集った者たちが飲み食いして、その後放置したと思わしきただのゴミ袋。 元々入っていたのは、数日前に悠と光輝が秋津さんのお使いで買ってきた品。 「……光輝、さっき私が言った事覚えてる? それと、兄さんを襲おうとした葵の偽物の件も」 転がったレジ袋に同じく視線を落とした悠が、ふと隣の相方に目くばせした。 「……。買い物に、時雨……って事はケーキの時も携帯電話借りた時もアイツは……あー、そういう事かぁ」 珍しい事に光輝までもが何やら真剣な顔で考え込み、唐突にポンと手を叩いた。 「どうした。何か気付いたのか?」 ちょうど部屋を出て行こうとするところだった紫苑が、苦虫を噛み潰した顔のまま振り向いた。 「ああ。大丈夫だぜ。今度こそ」 悠を除いた部屋の中の全員の視線が、ニヤリと笑みを浮かべた光輝を見つめた。 「この数日、買い物、人形捜索、兄さんの捜索……いくつもの用事で私と光輝は街中を歩き回っていた」 頭上の時計がもうじき八時を回ろうとする室内で、口元に手を当てた悠の声が響く。 「でも、一度も審査官(テスター)を見つけた事は無かった。それらしき人影さえも、絶対に見つからなかった」 「……だろうな。ここまで尻尾を掴ませない奴が、そうそう簡単に見つかるはずが――」 「でも、さっき思ったの。もし、もし『見つからない』事が、偶然ではなく必然(・・・・・・・・)なのだとしたら、って」 『……? どういう事だ?』 クレアの疑問に、光輝が言葉を引き継いだ。 「さっきの捜索中に時雨……あー、俺と悠のクラスメイトを外で見つけたんだけどさ、そいつ、確実に本物っぽかったんだ」 「……」 「んで、そいつが偽物だった事、今までに一度も無いんだわ。放課後一緒に出歩く事が多いくらい俺や悠と仲いいから、俺たちに近づくのには最も自然な奴なのにさ。どうしてだと思う?」 「……。奴はそのクラスメイトの存在を知らないのではないか。……そういう事だな?」 「そう。そしてさっきの葵の偽物の話。葵の存在は知っていて、時雨の存在は知らなかった。言い換えると、葵が来て、時雨が来ない。そんな場所から、相手は私たちを監視していたんじゃないかって。そしてそれに該当する場所は――」 「まさか……!」 紫苑に遮られた悠の言葉を、彼女の相方が引き継いだ。 「そ。この建物内だ」 ――それから数分後。 閉店時間が近づき人影もまばらな、とある喫茶店。 入口の扉に括(くく)り付けられた鈴が軽い音を立てて、新たな客の入店を知らせる。 チリンチリンと鳴り響く音に気付いた店員は、テーブルを拭いていた手を止めた。 「申し訳ありませんが、本日のラストオーダーは既に締め切っておりまして――」 その客は店員の静止を乱暴に振り切り、つかつかと奥の席まで歩いていく。 最も目立たず、最も狭い、なおかつ建物前の路地がよく見渡せる、その一人用の席へと。 そして。 その客――紫苑は、席に座りティーカップを口元に運んでいた審査官(テスター)を渾身の力で殴りつけた。 それと同時に、入口から音もなく這い寄ってきた山吹色の蛇が相手の足に絡みつく! 「ここまでは手はず通り、っと……」 入口の扉からそっと半身を滑り込ませた光輝の視界に入ってきたものは、紫苑の拳が緑色の障壁によって阻まれている光景だった。 そしてその障壁を生み出しているのは審査官(テスター)本人ではなく、虚空から現れた人形である事も。 「げ、悠のか……!」 加えて今しがた自身が放った雷撃の蛇でさえも、審査官(テスター)を守るように生み出された人形に触れると、相打ちであるかのようにかき消えてしまう。 その瞬間新たな人形が虚空に生成され、それが紫苑に触れると同時に彼の身体が後方に大きく吹っ飛び、無人のカウンター席に突っ込んだ。 店内に怒号と悲鳴が響く中、頭をかきながら光輝はつぶやいた。 「……あー、どうすんだ、これ」 「補修代金は秋津に全部払わせろ。そのくらいは構わんだろう」 舌打ちしながら起き上がった紫苑が、目の前の審査官(テスター)と人形を睨み付けた。