「邪魔をしないでくれたまえ。せっかくのティータイムが台無しだ」 抑揚のない声で、席に座ったままの審査官(テスター)の指先が紫苑を示した。 その姿は間違いなく、昨晩写真で見たあの人物だった。 「……お前はずっとこの場所から俺たちの事を観察していたわけだ。数日前のあの日から、ぬけぬけとこれほどまでに近くのこの場で」 「私の『これ』については、既に知っているだろう?」 紫苑の言葉を無視し、その身を白衣に包んだ相手が手を掲げると同時に、その場に新たに複数の人影が現れる。 「この子たちは私の手足でもあり、目でもある。彼らが見たものは私にフィードバック、経験として蓄積されるのだよ。その姿が消えた時にね」 いつでも床を蹴って走り出せるように、紫苑は身体の重心をゆっくりとずらしつつ様子をうかがうが、相手は全くもって意に介さず話を続ける。 「そしてその経験とは、ただ単に知覚した事に限らない。それだけでは、ただの遠隔操作のカメラと大差ないのでね」 「……誰かの異能を確認すると同時に、お前が生み出す人形もそれが使えるようになるという事か?」 「ほぼ(・・)正解だ。それに加え、写真等で外見を確認すれば性格すらも写し取れるのでね。その2つが私の複製能力(ゲンガーコロニー)、君たちが人形と呼んでいるものの特徴なのだよ」 そう言い、テーブル上のティーカップに手を伸ばして口元まで運ぶ。 「だから俺が初めて見かけたあの時は、本来の異能ではなく爪での攻撃を主にしていたというわけか」 相手の話に言葉を返しつつも、一気に距離を詰めるタイミングを計る。 確かに相手自身は隙だらけなのだが、その周囲を取り囲むいくつもの人形が、一歩でも踏み込むと一斉に自分たちにカウンターを仕掛けてくる事は明白だった。 「ああ。今回は既にストックしていた身体操作系の異能を攻撃用に、並びに触れた対象の記憶を読み取る異能をオプションとして入れておいたが、やはり行わない方が良かったな」 「……」 「私のゲンガー……いや、ここは君たちに倣(なら)おう。人形は私が直接命令を下しているのではなく、自立行動式でね。他者の人格要素、つまり他者の異能を混ぜると多少の齟齬(そご)が生じてしまう。これでは成り済ましをするにも、奇襲を行うのにも半端すぎた。これは失敗だったな」 ……。 「あー、おっさん、自分でタネをべらべらしゃべりだしたって事は、参りました! 降参! って事でOK?」 宙に掲げた両手をひらひらと振りながら、光輝が近づいていく。 「降参? まさか」 相手はティーカップの中身を一気に飲み干すとゆっくりと立ち上がり、それから紫苑と光輝を無視して悠々と出入り口まで歩いていこうとする。 「……逃がすと思うか」 「逃げる? いや、場所を変えるだけさ。ここは手狭なのでね。……ただ、少しばかりの時間稼ぎをさせてもらおう」 一気に相手の懐に飛び込もうとした紫苑の前に、審査官(テスター)に付き従っていた数体の人形が立ちはだかった。 「追ってきたまえよ。最も、君たちが動かなかったところで、何も変わりはしないがね」 「光輝から連絡。屋外に逃げられた、今から追いかける、って」 自身の携帯電話をしまい、静かな室内で悠が息を吐いた。 『……ところで下から結構大きい音がしてたが、あの店の中で暴れても大丈夫だったのか?』 「実はあそこの店長さんに、前々から話通してあるんだよねー。補修代金だけちゃんと払えば大丈夫大丈夫」 『……初耳だぞ、それ』 頭に手を当てたクレアと、うんうんとうなずく秋津さんを気にもせず、悠が出入り口の扉に手をかけた。 「私も行ってくる。盾役なら出来るから」 「え、ちょっとちょっと!」 背後から追いかけてくる返事も待たず、彼女はそのまま出て行ってしまう。 「じゃ、じゃああたしも! 今のあたしには、リバイアちゃんがいるし!」 それに引き続き、葵が部屋を飛び出そうとするが、今度こそその背に手が伸ばされた。 「だーめ。葵ちゃんはここで白斗くんとお留守番。っていうかリバイアちゃん? 何それ?」 「……」 頭の上に疑問符を浮かべている秋津さんを見つつ、白斗は近くのソファに腰を下ろした。 例え自分が出て行ったところで、出来る事は何もないだろう。淡々と、そう思った。 自分の唯一の切り札である時間停止能力の再充填(リロード)は、まだ25分程度残っていた。 それが使えない現状では、自身はただのお荷物でしかない事は理解しているつもりだった。 「……」 何となく、草むしりが恋しくなった。 「ま、どっちにしろ紫苑くんがいれば、大抵の場合どうにかなっちゃうんだよねー。なにせ、うちの最強の切り札(ラストカード)だもん」 『……それにしても――』 「さて、この辺でいいだろう」 審査官(テスター)が残していった数体の人形を撃破した紫苑と光輝は、大勢の通行人が目に付く駅前の大通りを見据えて立ち止まる相手の姿を見つけた。 「……。お前、元とはいえ本当に協会本部から派遣されてきた人間か? こんな場所で大勢の目に付くような事をすれば――」 「ああ。もちろん十二分に分かっている。一般人に見られても問題ない事はただの徒手空拳くらいだが、純粋な殴り合いでは君に分があるようだ。そんな愚かな真似をする気はないさ」 数メートルほどの空間を挟み、ただ睨み合う。 と。 「ここで一つ、君たちにとって興味深い話をしよう」 大仰に手を広げ、相手が告げる。 「私の役職は異能審査官、つまり各支部の人間が所持する異能の定期的なチェックである、という事は君たちも知っているだろう? 数日前までだがね」 「……?」 「だが、各支部の構成員に関する資料に当たっていた私の目に、あるものが飛び込んできた。それが……超能力(クオリア)だ」 「クオリア、って……兄貴が持ってるアレの事かよ?」 紫苑の背後に立つ光輝が、驚いたような声をあげた。 「ああ。あれは類稀なる能力でね。未だに謎が多い。ただの異能など、その足元にも及びもしない下位種のようなものだ」 心底楽しくて仕方がないというかのように、相手は声を震わせて笑う。 「私が審査官(テスター)として担当するはずだったいくつもの支部でも、所持している者はほとんどいなかった。だからこそ、そこには希少価値が生まれるのだがね」 「……」 「だが『異能』審査官であった私では、その片鱗に触れる事すら適わない。なにせ、異能力の上級概念であるクオリアは、私が元々いた本部でも情報が厳重に秘匿されていたのだからね」 着ている白衣のポケットに手を突っ込んだまま、やれやれとでも言いたげに首を振る。 「さて、ここで君の認識を少し訂正しておこう。私が『経験』出来るものは、何も通常の異能力に限らない。一度でも見さえすれば、このクオリアでさえも可能なのだよ」 「……つまり、ここ数日人形という駒を使って俺たちを襲撃し続けていたお前の真の目的は、この支部の乗っ取りなどではなく、クオリアを手に入れる事か」 「そう。私も『経験』してみたいのだよ。あの未知なる、強大な力を」 「……そのためお前はここで唯一クオリアを持つ、白斗を執拗に襲撃し続けていた。だがそれも決して成功しなかった。違うか?」 ニヤリと笑みを浮かべ、紫苑がゆっくりと相手に近づいていく。 だが。 「言ったはずだ。視認した能力は私に『経験』として蓄積される、と。そしてその視認する主体は私ではなく、人形でも構わない、とも」 「……?」 「さて、話を戻そう。これからの戦いが一般人の目につき、大騒ぎになるのは私としても出来る限り避けたい。だから……こうさせてもらおう」 ふとそこで、何かを思い出したのか光輝がハッと息をのんだ。 「……さっき、兄貴が時間停止を使って逃げる時に一緒にいたのは――」 「まさかっ……!」 舌打ちした紫苑がとっさに踏み込み距離を詰めるが、二人の間に出現した数体の人形に阻まれる。 そして、相手は宣言した。 「時間停止の超能力(クオリア)。『アクシスクロッカー』」 「ねぇクレア、」 人間三人、宙に漂う幽霊一人となった室内で、おもむろに葵が口を開いた。 「本当にあたし、行かなくて大丈夫なのかな? リバイアちゃんで踏みつぶせばすぐに終わるのに」 『……どうだろうな。あれは巨大過ぎるから、案外小回りが利かなくて……。……』 ふとクレアの言葉が唐突に途切れ、不審に思って白斗が見上げると――彼女はその体勢のまま固まっていた。 まるで、そこだけ時間が止まっているかのように。 ――そして次の瞬間、バシュン、と音を立ててクレアの姿が消え失せた。 「え――」 「嘘……これって……」 手にしていた陶器のカップを取り落とした秋津さんがこちらを見つめたまま、いつにない表情で呆然とつぶやいた。 それに対し、無言で首を横に振る。 決して割れず、一滴の中身もこぼれていない床に伏せたカップを、白斗の視線は無意識のうちに追っていた。 「もしかして、外で何かあったの……?」 「……ッ!」 その瞬間、誰も止める間もなく葵が外へと駆け出していった。 「俺、追いかけてきます」 そう言って白斗は今しがた葵が飛び出していった、開け放たれたままの扉を見つめる。 「……本当に、行くのね? どういう状況か分かってて言ってるんだよね?」 背後から、そう声が追ってきた。 「分かってますって。まだクオリアが使えない以上、俺はただの役立たずだって。無茶な事はしません」 そう告げると、背後からゴソゴソと何かを取り出す音がした。 「……だったら、これを持っていきなさい」 振り向いた白斗の眼前に突き出されたそれは―― 「私と君たち以外全ての時を止めた。30分だ。30分以内に全てを終わらせよう」 一瞬にして周囲全てから音が消え去り、眼前の大通りを歩いていた通行人や車の波が同時に凍りつく。 「マジで兄貴のクオリアと同じものかよ……」 近くに転がっていたペットボトルを踏みつけ、それが全く変形しない事を確認した光輝がうめく。 「……それに加え、奴の操る人形の成り済まし能力は未だ健在だ。どさくさに紛れて攪乱(かくらん)されると……厄介だな」 舌打ちした紫苑がそうつぶやいた瞬間、相手を守るように立っていた数体の人形が全て同時に、一瞬にして霧散した。 「安心したまえ。君たちの姿を模写する気はもう無い。いや、する必要すら無いのだよ」 そしてそう告げる相手の周囲に、半透明の人型のようなものが三体現れた。 スライムで出来た人影のようにも見えるそれらは、青白い手をゆっくりと数メートル隔てた光輝へと伸ばす。 「げ……なんだよあれ……」 「攻撃特化。私の『経験』として蓄積された、全ての異能を使用する。これはそのための純粋な力としての姿だ」 言うと同時、紫苑の眼前に、人の身長ほどはあるかと思われる巨大な光球が突如現出した。 自身に向かってくるそれを彼は造作もなく避けると、身をかがめて人形の懐へと潜り込み、そのまま二体の人形の顎だと思われる箇所目がけて掌底を放つ! 宙に浮き上がった直後に同時に霧散していく人形には目もくれず、紫苑は残り一体となった護衛と審査官(テスター)を見据える。 「……それで終わりか?」 「一つ忠告しよう。後ろを向きたまえ」 余裕たっぷりに、相手がそう言い放つ。 「……」 言われた通りに、無言で首だけを後ろに向ける。 どうせ自分は何があっても死なない上、もしこの隙に相手が何をしようとも、即座に反応できる自信があった。 今しがた避けた光球は、空中に留まったまま鈍く明滅していた。 ちょうど紫苑と、数メートル後方に立つ光輝の中間地点に。 そしてその巨大な光の球は、突如動き出した。 標的を、紫苑の背後の人物に変更して。 「って、俺狙いかよっ……!」 「――離れろッ!」 そう叫ぶが、光の球はどんどん加速しつつ光輝を追い始めた。 追尾性能でもあるのか、横方向に全力で走る彼を正確に捉えて距離をどんどんと狭めていく。 「……チッ!」 自分が盾になろうととっさに身を翻して紫苑は駆け出すが、それよりも早く一層輝きを増した巨大な光の球が光輝の真後ろにまで迫る。 「まずは一人、だ」 けだるげそうに審査官(テスター)が頭をかき、同時に新たな人形の群が現れる。 そして今まさに標的を飲み込もうとしていた光球(エナジーボール)は―― ――割り込んだ緑色の障壁によって受け止められると同時に爆発四散した。 「……悠さん、ナイス」 彼の隣に降り立った人影は、安心したように息を吐いた。 「やっぱり来て良かった。……光輝、私があなたの盾になる。私のそばから離れないで」 「りょーかい。じゃ、背中は預けるぜ、なんてな」 ……。 あちらはもう放っておいても危険はないだろうと判断し、紫苑は審査官(テスター)とそれを取り囲む人形へと向き直り、手近な一体に裏拳を叩きこんだ。 ――い、――つけ 建物を飛び出した後、目的地も分からずただ走っていた葵は、ふとどこからか声が聞こえているのに気付いて足を止めた。 背後を振り返ると、自分を追いかけてきたらしき白斗が息を整えていたところだった。 「何か言った?」 相手はゆっくりと首を横に振った。 急に足を止めたことで、春先とはいえまだまだ肌寒い夜の外気が、多少なりとも汗ばんだ制服にひんやりと絡みつく。 と。 『おい、落ち着けと言っている!』 突如あの声が虚空から響き、葵は目を瞬かせた。 「……クレア? 消えたんじゃなかったの……?」 「……? 見つけたのか?」 辺りを見回しても、いつもの半透明の姿はどこにも見当たらない。なのに、どこからか声が聞こえてきていた。 『私にもよく分からんが……私の意識が強制的にお前の内側に戻されたらしい。今は外に出る事は出来ないようだ。ともかく、安心しろ。私は消えてなんかいない』 「良かった……」 虚空の声に葵が安堵の息を吐いても、白斗は目をパチクリさせたまま。 それに気づいたのか、姿が見えないままのクレアが問いかけた。 『おい白斗。私の声が聞こえるか?』 だが彼は一切表情を変えず、立ち止まったままの葵を見つめていた。 『……やはり、お前以外には声が聞こえなくなっているらしい。時が止まっている事と何か関係があるのかもしれないな』 「……。今は何故かあたしにしか声が聞こえないけど、クレアはちゃんとここにいるわ」 葵がそう伝えると、そこで初めて白斗も状況を理解したのか、無言のまま同じく安堵の息を吐いた。 ……。 そしてふと何の気無しに前方を向いた葵の視界内に飛び込んできたのは―― 「何よ、あれ……」 一つも動かない大量の車が立ち並ぶ交差点で、紫苑たち三人と対峙する、スライムのような青白いいくつもの姿。 密集した人形群と対峙する紫苑はその内の一体に足払いをかけ、空いたスペースへと飛び込んだ。 他の人形が生成した氷柱をこちらの首元に伸ばしてくるのを無視し、相打ち覚悟で蹴り飛ばそうとすると、割り込んできた緑色の障壁に阻まれて氷の槍は砕け散った。 「……」 紫苑は顔をしかめながらもそのまま対象を蹴り倒し、その反動で後ろに跳び退る。 吹っ飛んだ人形は他の仲間も巻き込み、ドミノ倒しのように倒れていく。 そして重なるようにして倒れ伏した人形たちに、脇から飛来したバチバチと音を立てる山吹色の龍が食らいついた。 ……。 「俺には構うな。どうせ死なん」 同時に霧散する複数の人形を見つめながら、ぶっきらぼうに告げる。 「……あなたは自分を大切にしなさ過ぎだと思うけど」 「そんな事はどうでもいい。俺よりも、あいつの方を守ってやれ」 そう言い、審査官(テスター)へと向き直る。 だがそれと同時に、新たに数体の人形の姿が現れた。 「まるでゴキブリのように次から次へと……」 舌打ちし、そう率直な感想を述べると、相手は面白そうに手を広げた。 「いくらでも湧き出すゴキブリとは言い得て妙だが、実際には少し違うな。この子たちは同時に出現させられる数は決まっているが、生み出す数に制限はないのだよ。あえて言うならば私の気力が制限と成り得るが……非常に燃費がいいのもまた、このゲンガーコロニーの特色でね」 「……つまりこのゴキブリ共と遊ぶのはただの時間の無駄というわけか」 本日何度目になるのか舌打ちし、とっとと審査官(テスター)本人を殴ろうと拳を固める。 と。 「なんで……なんでお前が動けてるんだよ!?」 唐突に背後から聞こえてきた光輝の叫び声に振り向くと、そこに立っていたのは葵と白斗の二人。 「……?」 白斗はまだ分かるが、葵は確か支部の仕事要員には数えられていない、つまり一般人扱いであるため相手によって時間を止められた世界の中で動きを許可されていないはず―― その紫苑の疑問を、即座に光輝が代弁した。 「待てよ、葵は関係ないだろ!?」 「それがあるのだよ。……彼女は一体何者だ?」 「何者、って……」 「この数日、君たちの事を監視していて気付いたのだよ。支部に出入りする他の大多数の人間たちと比べて、彼女はやけに君たちと近い立ち位置にいる。そう、まるでこの世界の事を知っているかのように」 「……っ」 「それだけではない。君たちは彼女と話す時に、まるでそこに別の人物が存在しているかのように接しているだろう?」 やはり相手にはあの姿は見えておらず、悠の推測は正しかったかと紫苑が内心でつぶやいている間にも、相手は手を広げてこう言った。 「君たちが『クレア』と呼んでいるその存在が何なのかは知る由もないが、ともかくそこの彼女と関係しているものなのだろう?」 ふとそこで、いつものその姿が葵の周囲に見当たらない事が紫苑にとって気にかかったが、相手は続ける。 「だから君もこの世界で動く事を許可したのだよ。最も、この場に現れなかったところで探知系の異能を使用し、見つけ出すつもりだったがね」 「……見つけてどうする? 口封じでもする気か」 「する気? 元からそのつもりだよ」 言ってから、相手は面倒そうに頭をかいた。 「この世界の中で動く事が可能なのは、私とこの子たちと、君たち六人だ。それがどういう意味かは、今さら説明するまでも無いだろう?」 「六人? ここにいる五人と……」 「後は秋津、要はこの支部の全員か……!」 指を折って数える光輝よりも早く、紫苑はうめいた。 「それにしても、ここまで君たちが粘るとは予想外だ。下手をすると全てを終わらせる前に時間停止の効力が切れてしまうな。よって、ここらで一気に片を付けさせていただこう」 同時に、審査官(テスター)の周囲に新たな人形がさらに三体現れた。 「げ、またかよ……さっき倒したばっかだってのに……」 光輝が疲れたようにため息をつき、悠が無言で臨戦態勢に入る。 後方の白斗と葵の距離が十分に離れているのを確認し、紫苑は息を吐いた。 「……しばらく耐えろ。人形が再度配置される時の隙を突き、俺が奴本体を叩く。それで終わりだ」 「そうだな。そうしてみたまえ。出来るのなら、の話だがね」 ここに来ても相手は余裕を隠さず、楽しそうに笑みを浮かべる。 「いいのかよ? ここにいる俺たち全員が相手なんだぜ?」 「何、気にする事はない。君たち全員と私が戦うのではなく、君たち全員と私が同時に生み出せる人形の最大数が戦うのだから。……そう言えば、未だにその最大数を伝えていなかったな」 「……?」 「そうだな。具体的には」 「100体(・・・・)だ」 駅前の大通り。大量の車の往来が想定されているその幅広い四車線の車道上に、見る見るうちに半透明の人形の大群が展開されていく。 あるものは交差点上で立ち止まった車の上に。またあるものは商店街のアーケードの上に。 そしてまたあるものは、自身の『親』を守るように。 「……場所を変えたのも、これが狙いか……!」 胸中で毒づきながら、紫苑は審査官(テスター)目がけて駆け出した。 狭い店内ではなくこの大通りに場所を移したのも、この物量を動かすだけのスペースを確保するため。 今の今まで気づかなかった自分に舌打ちしつつ、その苛立ちを自身の眼前へと現れた一体に叩きつけた。 「……」 先ほど秋津さんから渡されたある物(・・・)を掴んだ白斗は、遠くから迫りくる人形の波と葵の間に立ち塞がった。 すると彼女はアンタこそ下がってなさいとでも言うかのようにフフンと鼻を鳴らし、手を夜空へと掲げた。 「100だろうが1000だろうが、まとめて踏み潰してあげるんだから!」 そして。 「来なさい、リバイアちゃんっ!!」 ……。 だが、いくら待っても何も現れない。 巨大な龍の姿はもちろん、地を揺るがす轟音も何もかも。 「ちょ、ちょっと、どうなってるのよ! 出てきて説明しなさいよ魔人!」 周囲をキョロキョロと見回し、髭を撫でるあの姿を探す葵。 だが、海皇と同じくあの魔人の姿もどこにも見当たらない。 その疑問に答えたのは、あろうことか前方の人物だった。 「時が止まっている対象にはこちらから干渉できない。そこの少年から既に聞いているはずだろう?」 「……っ」 「君のそのクオリアも既に『経験』させてもらった。だが犬猫など操っても意味が無いのでね」 そして相手の声に、ほんの少し疑念の色が混じった。 「ところであの時君が従えていた怪物は何だ? ……まあ、後でじっくりと教えてもらうとしよう」 そして数体の人形が、同時に葵と白斗を取り囲む。 「……やはり魔人の事は知らない、のか」 ふと誰へともなく白斗はつぶやいた。 それが聞こえたかどうかは定かではないが、相手の視線が一瞬だけ白斗を向き、すぐに興味を失って葵へと戻った。 「先ほどの『クレア』の件についてもそうだ。君は実に興味深い。いくつか直接聞きたい事がある。そこの役に立たない(・・・・・・)少年と共に、その場でじっとしていたまえ。その前に私は、厄介な人物を片付けなければならないのでね」 人形の包囲が、じりじりと狭まっていく。 それと同時に姿を見せないままの内側からの声が何かを告げたのか、葵はゆっくりとうなずいた。 「……葵ッ!」 背後で大群に囲まれた彼女に、紫苑は叫んだ。 「余所見をしている暇は無いだろう?」 相手の声が聞こえたかと思うと、前方から高速で何かが飛来してくる。 それはとっさに防御に使った右腕を、小さな爆発と共に吹っ飛ばした。 「……っ」 激痛に顔をしかめていると、周囲の暗闇が集まりたちどころに新たな腕を象(かたど)った。千切れ飛んだ腕も同じく、暗闇の中に溶けていった。 「文字通りの不死、か。君が最も厄介だ。君を最初に片付けさせてもらおう」 「お前、自分で言っている言葉の意味が分かっているのか?」 「もちろんだとも。君は確かに不死かもしれないが、生きたまま無力化すればいいだけの話だろう?」 「……何?」 顔をしかめた紫苑の周囲に、少しばかりの距離を取りつつも半透明の人形が何重にも集まっていく。 「不死とはどこまでなのか? 肉片すら残らないまでに消し飛ばしたらどうなる? 二つに切断したらどうなる? それでさえ駄目だったとしても、例えば地中奥深くに幽閉したら出てこられはしまい?」 そして周囲を取り囲む数十体の人形が一斉に、紫苑目がけて何かを撃ち出した。 直後、紫苑を中心に大規模な爆発の炎柱が立ち昇った。 「……囲まれた」 背後から迫りくる人形から逃走を続けていた光輝と悠は、進行方向の路地にも別の一群が待ち構えているのに気付いて同時に足を止めた。 背後から追ってくる姿は見えないにしろ、すぐに追いつかれてしまう事は明白だった。 「うげ……やるしかないかぁ……」 ため息をつき、構えようとした光輝の隣で悠が口元に手を当てた。 「駄目。あの数で乱戦になったら、いくら私でも防ぎきれない。そもそも、あれがどんな攻撃をしてくるのか分からない以上、近づくのは危険すぎる」 「けどよ……」 その時、前方の人形の一団があと数歩というところまで迫ってきた。 「少し下がって。……そんなに長くは保たないと思うけど」 相方にそう告げ、悠は雑居ビルで挟み込まれた前方の車一台がやっと通れるほどの広さの小道沿いにイージスを張り、人形の侵入を防ぐ。 「おお、やるじゃん。さっすが」 「……ここまで広げたら強度には自信ない。気休め程度のバリケードにしかならないと思う。あまり期待はしないで」 仮初めの安全地帯で、二人して息を吐く。 「つかこれ、ホントのホントにヤバくね?」 「……」 言葉を返す事も否定する事も出来ず、悠はただ視線を足元に向けた。 「頭使えばどうにか出来る状況じゃなくて、ただの物量の差だからなぁ……。何か打てる策あったっけか?」 「……光輝、来た」 その答えを告げる前に、悠は背後からの物音に気付いてその方向へと視線を向けた。 音のした方向からは、その存在を隠そうともせずに十数体の人形群が迫ってきていた。 「正門の何とやら後門の何とやら、ってか……」 「とりあえず、一旦道を空けてみる。……その後、どうなるかまでは分からないけど」 そして悠は前方数メートルに渡り展開した障壁で、そこに張り付いていた人形の大群をまとめて弾き飛ばした。 「……ほう。まだ動けるか。原型が無くなるほどの威力を出させたと思っていたのだがね」 ふらつきながら立ち上がった紫苑は口の中に溜まった血を吐き出し、遠くの安全地帯から感心したように手を叩く相手を忌々しげに睨(ね)めつけた。 周囲一帯に響いた大爆音を至近距離で受けてからというもの、耳の中で鳴り響く音がうっとおしくて仕方が無かった。 どうやら爆音のせいで、鼓膜か何かに影響が及んでいるらしかった。そしてそれも即座に修復が完了して異音も消え去る。 「……爆発物質の生成能力、か」 爆風にあおられてボロ布のようになった衣服を煩わしく感じつつも、今しがたの攻撃内容を確信してつぶやいた。 爆発の寸前に、身を伏せつつも近くの人形を掴んで引き寄せ、盾として使用する。 身体が跡形もなく消えた場合はどうなるか試した事は無かったので、念のために防御行動を取った事が功を奏したかどうかまでは分からなかったが。 そして周囲を取り囲んでいる人形の数が、ほぼ半減している事に紫苑は気付いた。 先ほどの爆発の時、盾にした分以外にも十数体が巻き込まれ、霧散していったらしい。 「……」 今がチャンスかと十数メートル先の相手を見据えるが、審査官(テスター)が指をパチンと鳴らすと同時、即座に新しい人形群が生成された。 「……チッ……キリが無いな……」 紫苑がつぶやいたその時、ほぼ同時に道路の反対側の各小道から二人ずつの人影が現れた。 「あれ、戻ってきちまった……って、おい、大丈夫なのかよ!?」 その片方――悠と共に行動していた光輝が、囲まれている紫苑を見つけるなり叫んだ。 そして、もう片方は。 「……くそ、ここにもか……」 人形の壁の一部が破れると同時に現れた葵、いやクレアとその背後に続く白斗。 最初に包囲された後、葵と代わったクレアが現れる人形をなぎ倒して進んでいたのだが、何の偶然か光輝たちと同じように元の場所まで戻ってきてしまっていた。 「いくら私でも、そうそう保たんぞ……!」 周囲を気にする余裕が無いようで、こちらは近くの紫苑の状況には気づいていない。 ここに奇しくも、三組が同じ場所に戻ってきた。 そして。 三組とはまた別の(・・・・・・・・)一画に集まっていた人形の群が、唐突にまとめて霧散した。 「何……?」 審査官(テスター)が眉を潜めて消し飛んだ分を即座に補充し、他の人形たちが一斉にその場所に向かう。 人形の一画が吹き飛んだ、その中心地点に立っていたのは―― 「いやー、ゴメンゴメン。倉庫にしまっておいたこれ、探し出すのに時間かかっちゃってねー」 白い鉢巻きを頭に巻いた、この場全員の上司。 その手に収まっているのは、白刃煌めく長身の日本刀。 「私が探すまでもなく、まさかそちらから来ていただけるとは。本支部の支部長殿。……長を含めた構成員全員と、君たちと共に行動していた少女、全部で六人。これで役者は全て揃った。フィナーレだ、ここらで終わりにしよう」 その瞬間、先ほど生み出されたばかりの審査官(テスター)周囲の人形が一斉に秋津に向かっていく。 「そうだねー、終わりだよ。……あと数分で、あなたがね」 手にした刀で音も無く一閃すると、数体の人形が一気に消し飛んだ。 それを確認した人形たちが、一斉に彼女から距離を取る。 唐突なイレギュラーの出現によって緩まった包囲を、光輝とクレアがアイコンタクトを取り一気に突破した。だがそれでも審査官(テスター)の視線は、秋津に定まったまま。 「……おい、大丈夫か!? 生きてるか、返事しろ!」 そこで紫苑の惨状に気付いた、葵の姿をしたクレアが血相を変えて彼に駆け寄っていく。 「……知っているだろう、俺は死なない。だから気にするな。……ちっ」 だがそう言いつつも、軽くフラついた彼の身体がクレアによって支えられた。 「ねーちゃん戦えたのかよ? いつも受付でなんか食ってばっかなのに?」 「まったくもー失礼な。私だってこれでも昔は前線で戦ってたんだよー?」 前線ってなんだよ、と光輝が言う前に、実に心外だとでもいうかのように口を尖らせつつも、彼女は踏み込みながら人形一体一体に正確に斬撃を叩きこんでいく。 「敵にも味方にも平等に壊滅的な被害を及ぼすって、とっても恐れられてたんだよ? ま、最近はデスクワークばっかりで、すっかり腕がナマっちゃったけどねー」 「……あと数分で終わり、と? どういう意味だ?」 そこでやっと審査官(テスター)は、そう彼女に問いかけた。 「先ほど私が使用した時間停止(クオリア)はまだ効力が残っている。それも数分どころでなく、十数分だ」 相手にとってもこれは予定外の事態なのか、声にわずかに疑念の色が混じっている。 「さらに効果が終了したとしても、再度使えばいいだけの話だ。先ほどとはまた別の人形に使わせれば、累積されるデメリットも回避できる。そうだろう?」 だが彼女はそれには答えず、ただ鼻をフフンと鳴らした。 「あなたの命運は、あと二分、ってとこかなー」 「……だったら、その時間までに終わらせてみせよう」 その途端、秋津を取り囲む人形が一斉に、中心部目がけて何かを射出しようと―― ――が、それよりも早く日本刀の煌めきが、ほぼ全ての人形を切り裂いた。 そしてそれでも生き残った人形が射出した物体は、秋津の前面に展開された緑色の壁に阻まれて爆発した。 「もーちょっと穏便にやってくれれば、私としても見逃し続けてあげられた……ん、だけどねー」 そこで背後の悠の視線に気づいたのか、一旦言葉を詰まらせて苦笑いを浮かべた。 「でも、ここまでうちの子たちに好き勝手されちゃうと、私もちょーっと……怒っちゃうかなー」 手にした日本刀を構え、前方の一団を大きく凪ぐ。 「とは言ってもコピーされると嫌だから、私の異能は使わないけどねー」 「マジかよ……これ全部、ねーちゃんのただの実力だってのかよ……」 数メートルほどは離れているにも関わらず、剣圧で生み出された風を肌に感じた光輝が呆然とつぶやいた。 「さて、あと一分! それまでに終わらせるんじゃなかったのかな?」 挑発的な笑みを浮かべ、彼女は刃先をいくらか距離の離れた相手へと向けた。 「何だ、一体何を数えている? 君は何を隠している?」 そこではっきりと、相手の声音に焦りの色が混じり始めた。 「うちの支部の切り札(ラストカード)、舐めちゃダメだよ?」 「……そこの彼がこの状況を打開できるとでも?」 相手の視線が、クレアに支えられたままの紫苑を向いた。 「いやいや。そっちじゃなくて」 だが彼女は、面白そうに首を横に振る。 「まさか君自身が切り札(ラストカード)だとでも言うわけではないだろう? 確かに君の力量は圧倒的だが、この子たちは実質無限に生み出せる。よってこのままだといずれ君の疲労の方が上回る。そうだろう?」 困惑しながらも審査官(テスター)は今しがた消滅させられた分の人形を全て再配置し直し、そのまま数歩ほど後ろに下がった。 そして。 「再充填(リロード)完了。そうだよね、白斗くん(・・・・)?」 彼女の声に合わせて、とっさに相手があの役立たずな(・・・・・)少年の姿を探し始める。 だが、それよりも早く。 「『アクシスクロッカー』。……10分だ」 とある少年はつぶやくように、しかしそれでもはっきりと宣言した。 二重に時が止まった世界。 光輝たちや人形の大群でさえも動きが止まり、この場で動いているのは、白斗と審査官(テスター)のみ。 「このタイミングで時を止めるなど……何のつもりだ? ……まあいい。この方が邪魔も入らず、私にとっても好都合なのでね」 一体として動くもののいない周囲の人形を見回した相手は、新たな人形を生成しようとした時にある事に気付いた。 「しまったな、私とした事が。既に同時生産枠の上限まで出してしまっていたか。まあ、数体ほど引っ込めれば済む話――」 「時が止まっている対象にはこちらから干渉できない、だろ?」 少し前に相手が言っていた言葉を、白斗はそのままつぶやくように口にした。 「今はその人形を引っ込める事が出来ない。そして同時に、調子に乗って出し過ぎた上限制限のために新しいのも出せない。……要は、アンタはここで俺と1対1で直接やりあうしかないわけだ」 すると相手は声をあげて、面白そうに笑いだした。 「なるほど。君なりの起死回生の一手、というわけか。ただの殴り合いなら、一か八かで私に勝てるかもしれないな」 「……」 「だがそんな事を言うという事は、君は知らないのだろう? 本部に在籍している人間は、異能以外に武器を使用した戦闘訓練を受けていてね」 言いながら、懐からナイフを取り出す。 「専門の戦闘訓練だ。そこら辺のチンピラなどとは比べ物にならないのだよ。それでもやるとでも?」 笑みを浮かべながら手を広げる審査官(テスター)を無視し、白斗は先ほど秋津さんから渡された――正真正銘ただの(・・・・・・・)木刀を取り出した。 対象を見据えたまま白斗がゆっくりと得物を構えると、相手は憐れむような声をあげた。 「やめたまえよ、無駄な事は」 「……?」 「私は知っている。君は今まで、何の役にも立っていなかった。そうだろう?」 言いつつ相手は重心を整えるかのように、刃物を手にしたまま身をかがめた。 「生成した人形(ゲンガーコロニー)を通して君たちの観察を行っていて、私は確信したのだよ。数いるこの支部の人員の中でも、君は役立たずだ、と」 「……」 聞き流そうとしても相手の動作を気にかけている以上、嫌でも耳に飛び込んでくる言葉。 「異能も実用に耐えないものであるし、クオリアがあっても戦況を変えられる力があるわけでもない。せいぜいが、一般人に気付かれないようにするだけか、逃走用だ」 白斗が無言のままでいると、相手はそれを言い返せないでいると受け取ったのか、嬉々として続ける。 「あの室宮葵という少女でさえも、クオリアを手に入れてから多少なりとも君たちの助けになった。だが君は、自身のクオリアを自身のために使うだけ。挙句の果てには、他の仲間からの援護が毎回必要になる始末だ」 「……」 「そして先ほど支部長が言っていた、君が切り札(ラストカード)の所以たるクオリアも既に苦し紛れの内に使ってしまっている。つまりは、君はもう何も出来ないわけだ」 「……ああ、そうかもな」 そこで白斗はため息をつき、審査官(テスター)の告げる言葉を聞き流そうとする無駄な努力をやめた。 「まさか、私が憐れんで見逃すという線にかけてはいまいか? クオリアは既に『経験』させていただいた以上、もう君は用済みなのだよ」 「……」 勝利を確信しているのか、楽しそうに話し続ける白衣の男。 ふとそこで白斗は、先ほど自身の上司とクレアが話していた事を思い返していた。 「ま、どっちにしろ紫苑くんがいれば、大抵の場合どうにかなっちゃうんだよねー。なにせ、うちの最強の切り札(ラストカード)だもん」 『……それにしても……その『切り札(ラストカード)』って呼び方、何か意味があるのか? やたら仰々しいが』 悠が出て行ったばかりの室内で、手持ち無沙汰なのか雑誌を読みふける葵。 クレアにそう問いかけられた秋津さんが、何故か受付奥の部屋の中を漁っていた手を止めて振り返った。 「えー、そうかなー? なんかカッコ良くない? トランプで言うならジョーカー、みたいなさ?」 『……いや、格好良さは別に必要ないと思うぞ』 聞いた私が馬鹿だったとでも言うかのようにため息をつき、ふよふよと浮遊しながらクレアが離れていく。 「でも、なんかスゴい、ってイメージは伝わらないかな? ほら、うちの最強の切り札(ラストカード)、紫苑くんは絶対に死なないのが取り柄の筋肉馬鹿だし」 『……アイツがこの場にいない事に感謝しろよ、お前……』 再度の幽霊の嘆息に気付かなかったのか、秋津さんはそのごちゃごちゃした部屋の扉を閉めた。 「それに最弱の切り札(ラストカード)、の白斗くんは……」 『あのクオリアがあるから、だろう? それくらい言わなくても分かる』 だが、葵の隣のソファに腰を下ろした秋津さんはチッチッチ、と指を振った。 「フフン、それだけじゃないんだよねー。白斗くんが「最弱の『切り札(ラストカード)』」の理由」 『……?』 「もちろん切り札(ラストカード)なのについてはクオリアのせいもあるけど、理由はもう1つだけあってねー」 「さて、いい加減話にも飽きてきたところだ。ここらで終わりにさせていただこう」 そう告げた審査官(テスター)の言葉で、白斗は現実に引き戻された。 次の瞬間、ナイフが首筋目がけて突き出される。 小さく息を吐き、身体を少しだけひねり攻撃をかわした。 「ほう。ならば……これはどうだ?」 そのままの体勢で相手が足払いをかけ、白斗の身体は宙に浮き上がった。 視界の端で相手が笑みを浮かべたのを確認した白斗は、地へと向けて空中で片手を突き出し、そのまま倒立に近い形で飛び退り体勢を立て直す。 「……君は……? まあいい、次で仕留める」 相手は今の白斗の動きにわずかばかりの疑問を覚えたようだったが、そのまま攻撃を続行する。 唐突に眼前に相手の肘が現れ、それと同時に死角からのナイフの切っ先が背後から白斗の首筋に―― ――突き刺さる瞬間に振り抜いた木刀が、フェイクではなく本命として使用されたナイフを持つ相手の腕を打ち据えた。 『お前が白斗を切り札(ラストカード)呼びするもう一つの理由?』 ほぼオウム返し同然に、クレアが訊いた。 「そっ。それが同じく、この子のもう一つの切り札でもあるの」 『……?』 「ほら、白斗くんって普通の異能力じゃ戦えないでしょ? それじゃ何かあった時に危ないから、私が暇を見つけては直接剣術を教え込んだの。あくまでも護身用だけどね」 『……初耳だぞ、それ』 「そうだったっけ? 白草むしりを言いつけた時に、ごくたまーに私も外に出て行って一緒に秘密の特訓とかしてるんだけどねー」 『……いやだから初耳だと……』 「最近は……ほら、悠ちゃんと光輝くんが偽物と戦った日だったかなー。状況が危なそうだったから、ちょっと特訓量増やしたら白斗くんその日動けなくなっちゃって。もー情けない」 それから彼女は、満面の笑みを浮かべて大して意味もなくこちらに手を振ってきた。 自身の護身術の師匠(せんせい)でもある秋津「さん」に、白斗はそのまま手を振り返しておいた。 『……で、特訓の成果としてはどんな感じなんだ』 「そうだねー……」 彼女は口元に手を当てて、しばらく考え込むような仕草をした。 「対人戦は最強とまではいかなくても、1対1で、かつ超常的な力が絡まない普通の人間相手の時は、」 白斗は片腕を押さえて得物さえも取り落とした審査官(テスター)にゆっくりと近づいていき、地面に転がっていたナイフを遠くまで蹴って滑らせた。 「……し、知らない……君のこんな戦闘能力、本部で見た資料には載っていなかった……! こんな事、私は知らない……!」 「載ってるわけあるかよ。秋津さんが俺にプライベートで教えてる事なんだから」 そして。 「対人戦は最強とまではいかなくても、1対1で、かつ超常的な力が絡まない普通の人間相手の時は、」 そこで秋津さんは言葉を一旦区切り、ニヤリとした笑みを浮かべてこう言った。 「絶対負けないよ、あの子」 白斗の木刀の渾身の一振りが、今回の事件の元凶の身体を大きく吹き飛ばした。